▷39lion

好きなことを好きなだけ。誰かに向けての文章ではない。

convoy「ATOM」哲学っぽいのと追加覚書

THE CONVOY SHOW Vol.39「ATOM」続き

 


 

観劇日:2020/8/15昼夜、16昼

チケ追加したよ😊2020/8/29昼夜、30

 

・もはや全てあやふや、逆に教えてください

・脱線しないときはない

・オリメンさんたちの「ATOM」円盤はまだ見ていない

・通販でパンフ買ったので現在手元にないので、役とか詩集とか違うところ多いと思う

・過去に哲学の勉強はしてないので、個人的解釈のオンパレード

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思い出した順に
ラブ・ファントムのあと、ねずみさん(ウーバーイーツの人)と高橋くん(ソクラテス)がすれ違って、”カリント工場の煙突の上に”の詩をソクラテスが読んだ後、バーンズくん(プラトン)が登場してソクラテスに「指の上に星を置いてみろ。あの日は…あの日はどうだった!?」って問いかけられるんだけど、”あの日”を明言しないことで、問いかけられた側が自分の中の”あの日”がどの日なのか色々考えてしまうこの感じ。物語として読むには面白いけど、実際に問いかけられたら、いや、どの日だよって突っ込んじゃうよね〜分かる〜〜。

あの日って誰かにとっての大事な日が誰かにとってはなんてことのない日でもあるし、犬の散歩をしてる人のわんこを見て可愛い〜って思った日が、convoyと劇的な出会いをした日でもある。もしかしたらなんてことないと思っていた日が未来で大事な大切な日になるって面白いよな。

 

わたしがその瞬間に思い浮かべたあの日は、初めての礼生さんの舞台(星屑バンプ再再演)を生で観たあの日。ほぼずっと泣いてて目が痛くて心も痛くてあたたかいものに包まれたあの日。人生変わるんじゃないかって衝撃を与えられたあの日。「死ぬまでに一度は観るべき」と北野武さんに言われるほどのエンターテインメントなんだけど、本当にそうだと思う。舞台に今まで触れたことがない方でも、必ずどこかしらに刺さるんだと思う。ダンスに惹かれる人、タップに惹かれる人、歌に惹かれる人、お芝居に惹かれる人、ストーリーに惹かれる人。好きな役者さんがいなくても惹き込まれること間違いなし。得るものしかねぇ。あとディズニーとかUSJのショー(ストリートでやってるようなのとか)が好きな人は絶対に好きになると思うTHE CONVOY SHOW。何か心に刺さると思うけど、刺さらずともシンプルにかっこいい10代〜60代が繰り出す最高のショーが待ってるからディズニーに行く感じで、気軽にどうぞ♡

 

若手の特技披露タイムがあるんですけど、礼生さんは片手肘ラビットしてましたね。片手の肘倒立でピョンコラ跳ねてるやつです。15日ソワレでは1990もしてた。片手倒立で回転するやつ。なにそれ?って方は本田礼生オフィシャルに月440円支払えば、礼生さんが練習風景っていうムービーあげてるので是非。オフィシャルのギャラリーにもconvoyのお写真めちゃ上がってるので是非。ONE!の舞台写真もUPされているぞ。お写真の枚数と解像度やべえぞ。ギャラリーが更新されたときの課金させて?????感はすごい。いつでも退会できるし、一度入会してみてはいかがでしょうか??(華麗なるダイマ)

 

本田礼生オフィシャルサイトはコチラ

https://honda-reo.com/

THE CONVOY SHOWのHPはコチラ

http://theconvoyshow.com/

 

 

ATOMと歌をこじつけてみた
まず言っておきたいのは、1人の人間の中に存在する”僕”と”ぼく”のストーリーで捏造100%みたいなものです。二重人格というわけではなく、1人の人間でも、ありのままの「僕」と、そうありたい「ぼく」っていう自分の中に存在するギャップとか現実と理想の自分という、同じだけど、同じじゃない、そんなお話をATOM楽曲に当てはめてみた感じです。

 

そして大前提として、ATOMたち若者はこれからの人生でどうなりたいのか追い求め、悩み、哲学者に扮して討論することで自己を肯定しようとしている、という設定です。それでもよければ。(途中から頭が疲れている)

 

▷LovePhantom

たぶん本来は愛し合ってた2人の間に生じたすれ違い、でも君がいないと僕は…みたいな愛と依存の歌詞だと雑解釈してるんだけど、今此処では、歌詞における"僕"は「現実の僕」"君"は「理想のぼく」だと思ってて。若者たちは自分の人生でどうなりたいか、まだ悩んでいる最中なので、理想のぼくを探して追い求めるんだけど、そんなものはすぐには手に入らないし、理想と現実の差に絶望するときもあると思うのね。だから「いらない何も捨ててしまおう 君を探し彷徨うmy soul」であって。現実に囚われている僕を全て、ぼくに委ねたい、全部あげたいんです。「途中の人はいいね」の途中の人は、僕の中にぼくがいると気付いてなかったりする人のことだと思ってる。そもそもタイトル「LovePhantom」を直訳すると「愛する幻影」なんですよ。幻影ってことは本当は実体としてそこにいないんです。ぼくは。僕の中存在しているので。でも実体として生きているのは僕なので「僕の中にいるぼく」を支えに生きていくしかないんだけど、生きていれば現実の僕が理想のぼくに追いついて重なることたってあって、それがあるからこそ、より強く追い求めてしまうので、ぼくに依存するし愛するし嫉妬するし憎く想ってしまう。なので、「ATOM」において1曲目に存在するLovePhantomなんです。若者が1番悩んで苦しんで追い求めている曲。

http://j-lyric.net/artist/a00067d/l006efb.html

 

▷RAIN

これはねずみさんという、過去すでにLovePhantomのような葛藤をして色々経験された方から、若者たちにとつとつと語りかける歌であり、また激しく「ぼく」を追い求めるのではなく、「ぼく」といい距離で付き合えていると思っている「僕」の歌です。追い求めてないわけじゃないんですけどね。

そうなると「どこかで永遠に待ち続けているから  どこかで永遠に待ち続けていておくれって  それは 永遠にさよならって意味になるのかな? それとも永遠に想い合っていようって意味になるのかな?」が少し切なくなってくるよね。ぼくが永遠に僕を待ち続けてるんですよ。実は隣にいるんだけどね。隣にいるから1人分の傘ではどちらかの肩はが濡れてしまうよね。ちょっと切ない。

 

 

▷アトムの子

デモクリトスの「原子(atom)論」から、それ以上分けることのできない、無に等しいただ唯一の存在「ATOM」。この世の全てのものはatomでできており、ただ唯一の何者でもない僕たちは何にでもなれる!と希望を抱く歌。プーさんと同じですね。「ぼくは何もしていないをしているよ」っていうプーさんの言葉。これは「これから何でもできる」っていう意味なので。わたしたちはATOMでありプーさんです。はちみつ食べよ。

歌詞の「意地悪する子」は自分の中にいる卑屈なぼくだったりするので、最後には仲良くなれたりできるんですよね。卑屈な自分も自分には変わらないので。すぐには無理でも時間が経てば受け入れたりできるからね。僕とぼくとぼくが手を取り合い歩き始めた歌。あの場所にアトムがたくさんいるんだけど、あれは全部、たくさんいるいろんなぼくです。

 

▷勞動歌

▷自由に歩いて愛して

ここら辺はアトムの子と似たような感じで、ぼくは何にでもなれる!と頑張ったり、埋められないギャップとかに対して、ぼくに囚われていたり憎らしく思う気持ちが少し解放されていたりする曲かな?僕とぼくで手を取り合い奮起して歩く、希望に満ちた歌。そんな曲でオリメンさんたちの映像が流れるのエモいな……。「自由に歩いて愛して」ってタイトルの曲で若者たちの特技披露があるのも納得しかない。

 

ボレロ

▷Blowin' In the Wind

前の曲たち、考えなどをもって旅したんですかね、死生観とか在るべき姿を歌っている。でも答えは風の中。うん。ぼくを追い求める僕だけど、正解ってないし、追いついてもさらにその先があるし、途中で変わったりする。気ままに翔け、手に掴むことができない風の中に答えがある。うん。

 

▷正解

これは歌詞のまんまじゃねぇかな

 

▷カリント工場の煙突の上に

生きていく中で僕は、ぼくを捨てたことがあったんでしょうね。僕が捨てたぼくを想う歌かな…。

 

 

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途中から頭が疲れてしまったけど、だいたいこんな感じ。僕がぼくを追い求めるひとつの人生が「ATOM」の中で使われる楽曲に込められていたら、という話。まだまだ解釈のしようはあるので、ぽつぽつ考えていこうと思う〜。

 

 

 

 Why?の会に参加する哲学者たち
とは、哲学者に扮した若者たちが互いにWhy?を投げかけて討論する集会。昔にもWhy?の会があったらしい。この昔のWhy?の会の映像記録もあるんだって。ふふ。

まだ自分のあり方とかを悩んでいるから、哲学者に扮してはいても、若者自身がよく理解していなかったりするところが哲学という取っ付きにくいテーマに親近感が少しわくような気がする。観ているわたしたちも同じように頭をこねくり回しては言葉の意味とかを反芻しながらも、無意識にその世界に没頭するスピードが加速させられている感じ。最高に面白い。

 

▶本田礼生さん「ジームクント・フロイト

夢に出てきて、Why?の会に向かう途中に見つけた花って、私の目と記憶力が悪いので最初は百合かと思ったけど白い百合の花言葉は「純潔」だから違うかぁ、となってそれっぽい花を探してたんだけど、ヒメウツギだったら面白いな〜。花言葉に「潔白」があるからさぁ(笑) 時期が春〜初夏辺りらしいから違うかもだけど、「遅刻してしまったのは昨日夢に見たこの花が道端にあって〜」って言ってるフロイトが潔白のヒメウツギ持ってたら笑う。めっちゃ意識して遅刻の言い訳してるやん、ってなるから笑っちゃうよね(笑) ちなみに百合でも赤とかピンクなら「虚栄心」だからこれまた面白いんだけど。誰かあの花がどの花なのか分かってる方いません????

 

精神科医。【神経症研究・自由連想法・無意識研究】

ヒステリー症状の研究を始める。ヒステリーは幼少期に受けた性的虐待の結果であるとし、ヒステリー患者が無意識に抑圧したことを自覚することで症状が軽快に向かうとした。その治療法を「自由連想法」という。自由連想法とは、患者が自由に連想を始めることができる環境を整えること。患者が自由に頭に浮かんだものを話してもらい、分析者は要所要所で質問やコメントをする。これを繰り返すことで無意識の意識化に繋げていく。そうして意識化されることで「気付き(言語化)」が生まれ、症状が消えていくという治療法。

自然科学者でもあるフロイトは、精神分析はあくまでも「科学」であり、ヒステリーなどの物事にはすべて原因があると考えた。夢もそのひとつで、人間が夢を見るのは「願望の充足」のためである。夢を分析することで、その人の隠された願望や不安を読み取れると考え「夢判断」の手法を生み出した。夢に出てくる事象には意味やパターンがあると考えこれを「夢の象徴」と呼んだ。そのひとつに”死”は旅立ちや汽車旅行のシーンで現れる。

自由連想法や夢などはすべて無意識が関わることから、やがてフロイトの関心は無意識そのものに移行する。「意識は人間の思考の氷山の一角であって、意識の下には広大な無意識が広がっている。」

 

ネットで調べてザザッとまとめるとたぶんこんな感じ。ここでATOMのお話に戻ると、フロイト扮する礼生さんが「わくわく」で死生観を語っているんだけど、最後の段落で「じぶんが しぬのはたのしみでも だれかがしぬのは かなしいし つまんない たびにでるひとを みおくるのににてる でもわたしは さよならはいわない わかれるときは いってらっしゃい といおう」で締められるんだけど、哲学者フロイトの夢判断で、”死”は旅立ちや汽車旅行のシーンとして現れる、とあってひとつの流れとして重なってしまってぞくっとした。フロイトが語るに相応しすぎる。

そして前の記事でわたしは「わくわく(=無意識)」「来世(=意識)」「ボレロ(=死の世界へのダイブ)」みたいな解釈を繰り広げてしまったんだけど、あながち間違いじゃないんでは……???となって今両手を合わせて天を仰いでいる。

 

 

 

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以下、勉強&解釈途中(まじでメモ)


▶荒田至法くん「ダーウィン

進化論の人。「この世に生き残る生き物は、最も力が強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できるものだ」


▶伊藤壮太郎くん「イマヌエル・カント

批判哲学。認識論。

 

バーンズ勇気くん「プラトン

古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子。"正義とは、己にふさわしきものを所有し、己にふさわしきように行動することなり"。

劇中にて、ソクラテス「正義はどこにあるのか?」プラトン「己の魂の中に」


▶高橋駿一くん「ソクラテス

無知の知。抽象概念の明確化。対話法による真理の研究。

 

▶帯金遼太くん「ルネ・デカルト

"我思う、ゆえに我あり"


▶山野くん「ジャン=ポール・サルトル

無神論実存主義。"実存が本質に先立つ"。"人間は自らの行動の中で、自らを定義する"。”人間は自由という刑に処されている”。


▶今村ねずみさん「ウーバーイーツの人、デモクリトス

自然哲学者。原子(アトム)論。 

 

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Why?

ねずみさん「おれたちは今、どこにいる?」

帯くん『ここにいる』

Why?

ねずみさん「”ここ”とはどこだ?」

 そーたろー『ガラクタの倉庫だ』

Why?

ねずみさん「それじゃあ、ここに住んでいるブラザーサン(猫)、シスタームーン(猫)にとっても”ここ”はガラクタの倉庫なのか?」

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詩集 
詩:(?)ワーズワース「The RAINBOW」和訳「虹」▷至法くん

詩:相田みつを「生きていてよかった」"雨の日には雨の中を 風の日には風の中を" ▷山野くん

詩:まど みちお「ぼくがここに」▷おびくん

詩集:谷川俊太郎「ぼくは ぼく」”わくわく” ▷ 礼生さん

詩集:谷郁雄「愛の詩集」”来世” ▷ そーたろーくん

歌詞:Blowin'In the Wind(?)  ▷ バーンズくん

詩:金子みすゞ「童話集」”わたしと小鳥とすずと” ▷ 高橋くん

歌詞:カリント工場の煙突の上に ▷ ねずみさん

 

礼生さん以降の詩についてはまあまあ覚えてるのに、それ以前の記憶が曖昧なの、ボレロで記憶ぶっ飛んでる感しかなくて笑う。だってボレロで思考のすべて持っていかれるからさ……(162834138回目の言い訳)

 

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追記
大阪公演で気付いたんだけど、勞動歌で礼生さん、倒れる振りがあって。その倒れ方、ボレロじゃん……。つまり勞動しているときにぶっ倒れてしまった……?ということはだよ。ボレロの最後の倒れるところまで繋がっているよな…?勞動歌からボレロまで、倒れていて意識はないのかもしれない可能性も出てきたよね。自由に歩いて愛しても夢の中で、タップのときも夢の中?夢の中で楽しい時間を過ごしていた…とするならば、あれは走馬灯であり、死ぬ間際に見る安らぎの夢…?

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1511/06/news115.html

歌って踊ってブレイクダンスして、舞台上にいることが安らぎで人生。29日夜公演が中止になったその日の夜、「少しでも長く板の上に居させてくださって、本当にありがとうございました」とTwitterでおっしゃった礼生さん。板の上で生きて死んでいくんだね、貴方は。全部観たい。

わたし、板の上にいる礼生さんをとくに美しいと常日頃思っているんですけど、その美しさって顔が綺麗という美しさではなく、「今!板の上にいて、芝居をして、踊って、歌っている!」という板の上で命を燃やしている生命の美しさだと思っていて。その美しさを個人的に感じていたのものが、今回板の上で如実に表現されてしまったようで、恐ろしいほどに美しくて、だからこんなにも魅せられるんだろうな、と思った。

 

そして29日夜公演。嫌な音の消え方だな、と思っていたらマイクも音も全て消えて2度幕が降り中止という判断。むしろあの短時間で公演を中止にして、大千秋楽の後に振替をするという判断をしたのは凄いと思う。演者とスタッフ、観客の信頼関係と、完全なショーを魅せたいというプライドが織り成せることだと思う。

 

そして、板の上にいた彼ら、本当に本当に本当にかっこよかった。悔しかったと思う。当たり前だ。それでもマイクも音楽も鳴らないあの状況でできる、最高のショーだった。最初にねずみさんのマイクが消え肉声での台詞、勞動歌も流れず、幕を閉める最初の判断をしたとき、足を強く踏み鳴らして幕の後ろに消えた彼ら、強かった。とてもとても強かった。一度機材が復旧して幕が開くもまた音が消えて。中止の判断がなされて。最後に幕が開いた。そこには演者がスッと立っていて、音がなくても自分自身を音楽に出来るタップが始まった。タップの音と演者の掛け声そして観客の手拍子。普段の舞台の世界観にのめり込む感じではなく、それでもただ、この今一瞬の舞台を最高のものにしようという、全員がひとつの方向を向いた、パワーが舞台で足を踏み鳴らす彼らに集まっていくあの空気。最高で最高にかっこよかった。もちろんトラブルなどなく完璧なショーを魅せることがベストかもしれない。けれど、タップが終わり演者がお辞儀をし、観客がスタンディングオベーションになったあの瞬間、最高の空間だった。だから振替も大丈夫なんだ。だって彼らはconvoyなのだから!!


【言語メモ】 

イデア論

アリストテレス

ガラパゴス フィンチ 進化論