▷39lion

好きなことを好きなだけ。誰かに向けての文章ではない。

まだまだあるよ「ATOM」

ATOM」観劇後、約1ヶ月かけて礼生さんへの手紙書いてる時に出てきた解釈とか、前の記事にも書いたやつまとめとか、ただの感想とかそんな感じのブログ(笑)

それより今回の手紙18枚(約12,000字)も書いてしまったの、申し訳ねぇ〜〜〜って感じだよね!手紙っていう括りから外れて卒論かな?!?!レベルだよねすまんね!ごめんね礼生さん!許してぇ😃 悪気は本当にまじでないんだけど、気持ちと脳味噌が滾って筆が止まらなかったよね!わたしが一番ドン引きしてるよ!!今度からはせめて10枚以内に収めようね!!!

 

※礼生さん宛の手紙を省略しただけので、文章の構造というか文の繋がりがおかしいところあるけど、そういうのオールオッケー!って方のみどうぞ〜〜〜※

※削除するの面倒臭くてだいぶそのままなのでめちゃ長いよ※

 

 

 

 まずはTHE CONVOY SHOW vol.39「ATOM」振替公演も含め完走おめでとうございます!!劇場で舞台を、THE CONVOY SHOWを観劇できたこと、礼生さんの生き様を感じられたこと、どうしようもないくらい幸せで、礼生さんのこともconvoyのことも演劇のことも大好きだと思いました!!!そして、こうして公演を開催するにあたって、できうる限りの対策を講じてくれた制作の方や技術さん会場のスタッフさん、演者の方々、そして、「ATOM」を観たいからと個人としてできる対策をして劇場に足を運んだ観客の方々、環境によって観劇しないという大変な決意をされた方々、こうしたみなさんの努力と協力と信頼あってこそ完走できたTHE CONVOY SHOW「ATOM」!!!!最高です!!!また観たいもっと観たいたくさんATOM達と会って語り合いたい!!!!そんな感情ばっかり湧いてくる最高のSHOWでした…!!

めちゃめちゃに濃くて最高で、哲学に少しの興味と、言葉にする楽しさの再確認と、学生の頃に戻って夏休みが終わってしまったかのような物悲しさを得ました…!!
THE CONVOY SHOWって最高だ!!!!それしかねぇ!!!
 
 わたしは東京公演15日と16日の3公演を観劇しまして、帰宅してからというもの、溢れに溢れていた気持ちを文章にしたため続けていたら、もっと観たい!!劇場で哲学したい!!!という気持ちがどうしようもなく大爆発してしまったようで、無意識に急遽休みをもぎとりチケットを用意し新幹線とホテルを予約し、気付いたら大阪に乗り込んでいました…。無意識の行動力の高さがすごいなぁ(そしらぬ顔)
 
 そんな無意識の行動を引き起こしてしまう程の引力を持っているTHE CONVOY SHOWってすごいですよね。一曲目のLovePhantomが始まって幕が開いた瞬間から魅力と感動が溢れ出てて、アドレナリンがドバドバで思わず溢れ出してしまう笑顔。スーツをバシっと着こなしてはちゃめちゃにかっこいいダンスが始まって「ああああああああかっこいい!!!!!」の後にすぐ来るねずみさんソロで「ああああああああああfdzゔはhfwmふぁw;:kfがっごい”い”」ってなるんですよね……わたし間奏からのギソロがピロピロ入ってくるあたりの、∧って形のフォーメーションでタイミングずらしてターン決めるところ、なんだか無性に好きなんですよね。なんででしょうか。バラバラに動いているように見せかけてカウントしっかり取らないとバランスが崩れていくからかもしれない。バラバラに見せかけたひとつの塊……。それは、好きになるしかないですね…。そしてその後すぐのバスドラのドッドッドッドに合わせた小刻みターン(?)が好きです。B’zの音源だとバスドラが打ち込みっぽくて少し音が弱いんですけど、劇場だと低音が上がってお腹に響いて、もう本当にめちゃ好きです……。LovePhantomはギターの速弾きとかチョーキングのところでバチバチのダンス持ってくるのずるくないですか???かっこいいに決まっているじゃないですか……。あとどこの歌詞か定かでは無いんですけど「カラのカラダが〜」ですかね?礼生さんのお隣が確かねずみさんで4人横列でギター弾くみたいなダンスして腕回すみたいなダンス……説明力の無さ……これもすごく好きです…笑。あと1サビの「ふたりでひとつに〜」のところだったと思うんですけど、ちょこちょこ助走してからのスポットがパッ!当たるところ可愛くて好きです!!
 
 そんなかっこいいLovePhantomのあとの、The Opening of Doorsとカリント工場の詩と電車の音。ノスタルジックでどことなく寂れた感じというかセピア感があるのと同時に、電車の音でタイムトラベルしている気持ちにさせてくれます。電車が通り過ぎるたびに今、板の上にいる人物が思い描いている風景は、現在なのか過去なのか考えるのがすごい楽しかったです。思いを馳せるタイムトラベルというよりは、意識が過去に行ってしまうようなタイムトラベル。「空よ 僕を忘れないでくれ」と星空に手を伸ばしたソクラテスを見て同じように星に手を伸ばしたウーバーの意識は多分あの時、あの日のおいらたち、だったと思うんですよね。円盤化されているATOM’06の情報とかわざと入れないようにしていたんですけど、自身2公演目の観劇でWhy?の会の看板を手に持って(これは…!?)って感じのウーバーを見た瞬間からそう感じて、冒頭のこの短い時間の中で現在と過去が重なって流れている……と感動しました。現在と過去の2枚の映画のフィルムを重ねたかのような……そう思うと電車の影だけ見るとフィルムのようにも見えてくる。すごい。深いため息を吐きたくなりますね…。素敵だ…。
語り継いで演じ継いで欲しい作品ですので
ATOM」はもちろん今すぐにでも観たいですし、過去作、まだ観ぬ未来作も継いで欲しいです…!!!
 
 そしてHigh Heel Blues!帯くんがラインライブでおっしゃってたのですが、若手の方々が振り付け考えたんですね!?誰がどこの振り付けを考えたりしたのか思いを巡らすという楽しみが増えましたね!?わたしは窓を開けてフロイトまだかよ〜!みたいにしてるところが好きです!(笑)誰がどこを考えたんですか〜〜〜!!!気になる〜〜〜〜!!!!
そしてフロイトは白い薔薇を持っていたんですね!東京公演が終わった時点で白くて大きめの花とだけ記憶していて、何の花だったのか気になって、白くて大きめの花って何があるかな〜?と思い軽く調べた結果、ヒメウツギという花だったら面白いな、という想像をしてました!花言葉に「潔白」というのがあるらしく。遅刻してきたフロイトが持ってる花が「潔白」って最高に言い訳がましくて面白くないですか?笑 めちゃくちゃ意識して「遅刻したのは僕のせいじゃないです」って言外に表現してる〜ってひとりでニコニコしてました!笑 でも正しくは白い薔薇でしたので花言葉は「純潔」、白い薔薇の夢占いは「献身的な愛情」ですね!笑 だからフロイトは薔薇の声を聞いては照れたり抱きしめようとしていたのですね。しかも”1本の薔薇”は一目惚れの花言葉もあるので、フロイトが無意識に白い薔薇に惹かれてフラフラしてしまうのもしかたがないです〜〜〜〜〜〜!!!(※外から見ると)恋に現を抜かす可愛い男ですね〜〜!!薔薇を咥えたフラメンコのようなダンスも情熱的ですしなんてロマンチストな男なんでしょうかフロイト〜〜〜!!!!!!ん〜〜〜許した!!!!!!!(満面の笑み)
 
 そして至法くんと山野くんが初めましてだったのですが、至法くん声が好きだと思いました。声に優しさとお兄ちゃんみが詰まっている!!めっちゃ遊んでくれそう至法くん!!!そしてパパになってお子さんが娘だったりしたら親バカ気味にでれでれしてそうな至法くん!!!ダンスにも優しさが透けて見えるのに、ダイナミックに決めるところはバシッと決めてくる至法くん!!!好きです。フロイトに出戻りくんって言われたあとの「やめて?」の言い方が絶妙すぎました!笑 そして山野くんのすげー新人入ってきたー!感がすごいですね!?股下5kmありましたよ!?!?股下5kmから繰り出されるダイナミックで大胆なダンスの迫力よ……。そんなダンスと度胸もさることながら、詩の「生きていてよかった」の語り始め、17歳とは思えないほどの重みがあって、すごく印象に残っているんですよね……前後の楽しい曲との落差がすごくてグッと引き込まれるあの感じ……そしておそらくねずみさんの後に続いて山野くんが踊ることが多かったように思ったのですが、それもまた素晴らしい対比。じゅくじゅくに熟したねずみさんとピチピチフレッシュな山野くん、お互いがお互いを引き立てている〜!好き〜!新たな若手convoyの今後が楽しみで仕方がないですね!!
 
 そーたろくんのマドンナの絶妙なしなり感とか、ノックの音なのに一生バントしている礼生さんとかCounty Wicklow Mysticのターンは一生笑っているし、謝罪芸人礼生さんは言わずもがな、そーたろくんの財布をパクって悪い顔している山野くんとか、換気タイムでの山野くんの絶妙なタイミングの「ストップ!」で水飲めない駿一さんとか、曲が終わってしまって「あっ」ってなった山野くん見て、水を吹き出して衣装を濡らす礼生さんとか、アラサーって言われて落ち込んでいるように見せかけて実は笑いを堪えている礼生さんとか、ジェネレーションギャップの壁にぶち当たっているのが日に日にオーバーになっていってもはやエビと化している礼生さんとか、ウーバーに名前聞かれなくて一生虚無顔してる礼生さんとか、他の方も含め、ずっと笑ってました!!
 
 それにしてもRAIN声の厚みが圧倒的で、毎回声の圧に仰け反っていました!!!!ねずみさんの最高に渋くてかっこいいお声で場がバシッと引き締まった後の、若手のRAINの和音が最高に綺麗で……楽しそうで……めちゃくちゃ好きです……嵐だった夜に、ねずみさんやconvoyという一筋の光のカーテンが差し込んで、雨粒が光に反射して世界がキラキラしていて……雨が降って地面はぐちゃぐちゃでも空を見上げれば光があって、自分たちの明日は明るくなるよって言ってくれてるようで、キラキラで、ほんの少し背中を押してくれるようで、朝聴いては少し明るい気持ちになったりしてます!
 
 自由に歩いて愛しても、めちゃくちゃかっこいいですよね…!!演出神か!?ってなります。ジャケットが降りてくる演出かっこよすぎてテンションが爆上がりしますし、そのジャケットを着て、白のムービングがギュルギュル下から上に煽られていく照明がバチバチにかっこよくて本当にもう最高なんですよ!!!!!オリメンさん達の映像をバックにというのもエモいですよね。受け継がれていく青いジャケット……勞動歌の後に来るというのも、とても良くてですね。勞動歌(working song)について調べたんですけど、郭英男/Difangさんはアミ族馬蘭社の頭目……うむ、意味が分からなくて調べました(笑)アミ族馬蘭社は出身地でここでは農業などを営む一族で、大きく伝統的な集落で一族に伝わっている歌や頭目が作った歌を歌って仕事をしていた。頭目とは一族の長で、一族の伝統遺産を守り伝えていくという仕事がある。と、ざっとまとめるとこんな感じなのですが、この曲で後ろに立って踊っている若手を見守っているねずみさんは頭目ということになるのです。つまり、ねずみさんが作り守ってきたconvoyの魂を若手に伝えていくという曲になるので、尊いという感情とオリメンさんたちの映像によりconvoyという積み上げられてきた極上のエンターテインメントに魅入るしかないんですよね……。
 そんな曲から続いて青いジャケットが降りてくるという目に見えた形での継承があるので、convoyを知って好きでいればいるほど、演者のことを知って好きでいればいるほど、好きになってしまうこの曲たち。演劇でメタ要素を取り入れるとき、上手く噛み合わなければ冷めてしまう場合もありますが、convoyはこういったメタ要素が噛み合って、もともとオリメンさんたちだけで綺麗に回っていた歯車に、若手という新たな歯車が噛み合って回り始める。彫刻が掘られていたり装飾がなされたりしてより鮮やかに強烈に、歯車が噛み合う際についた傷や経年劣化による傷すらも美しく味わい深くなる。内情を知らずとも最高に面白いですが、知ることでより深みにはまっていくこの感じ。こういった人間模様もconvoyを極上のエンターテインメントたらしめる要素になって、こうして次に継承できるまでの財産になっているんだな、と思うとすごく眩しくて大切でずっとそこに居たいと、そこに居て欲しい、と強く願っています。
 
 そして真夜中の詩人の会。これはもう書ききれない程の想いと思考が絡み合って、わたしの思考もまだぐちゃぐちゃとしているのですが、そもそもわたしの今持つ思考はひとつのところから見た観点視点であり、これをわざとずらして世界を常に広げている部分であるので、まとまるはずがないんでした…。世界は広いし言葉は難しいですね。手紙を書いていてつくづく思います。でも楽しい。こうしてお手紙を書くの、めちゃくちゃ楽しい。と同時に言葉が出てこなくてクッソーーーーーーーーー!!!!ともなりますが(笑) 脳みそこねくりまわして、分からない単語や言葉の成り立ちを調べて、この言葉って他の言い回しはないんだろうかと調べて、悩みながら言葉を書き連ねていたら、ふいに自分が思って書こうとしていた文章じゃない文章が出てきた瞬間、自分の中から知らない自分が飛び出して、「お前ってそういう事だったのか!」とワクワクします。つまりめちゃくちゃ楽しい!!!!!!!!!!!!!!
 
 さて真夜中の詩人の会ですが始まり方からして希望に溢れていて最高です。荒れていた空に虹が架かり、至法くんに掬い上げられた水溜りの水が、がらくたの楽器で奏でられた音楽ととも弾ける。がらくたは大多数から見ると価値のない雑多なゴミだけれど、がらくたは「ガラガラ」と音楽を奏でる楽器ともなる。そしてタップを踏みステップと踏むことで塵芥(ちりあ”くた”)が舞う。がらくたの倉庫は猫やねずみにとってがらくたの倉庫ではないのと同じように、人間にとってもがらくたの倉庫が”ガラくた”の倉庫へと変貌し、そこは歌い踊り演奏する舞台となる。そしてがらくたは人によっては価値のないゴミのようなものでも人によっては価値のある骨董品にもなりこれらを収集するコレクターもいる。がらくたは我楽多と当て字をするのですが、まさに雑多なもの集めて楽しむ人たちという意味にも取れるし、ただ楽しいモノをたくさん集めた我々、という風にも捉えられる。がらくたの倉庫は、そこに集う彼らによって”ガラくた”の倉庫になり、それをみている私たちも我楽多であるんです。そうして創られたがらくたの倉庫はねずみさんそのもので、生きた証でもあると思うのです。
 
 そこに17歳のピカピカの新人くんが大きく体を跳ねさせた後「生きていてよかった」と溢す様は彼の人生がこれからより深いものになるんだろうなと、この世界で生きていくとコンボイに乗り込んで、こうしてコンボイの新人くんとして板の上に立つ山野くんの背景と、山野くんという人の重みが感じられて、すごく印象に残りました。そして「ぼくがここに」にで我々は他の何者にも侵されることのない唯一無二の存在であると言う。原子ATOMもまたそれ以上に分裂することのできない唯一の存在であるというのだから、帯くんのこの詩はもしかしたらATOMを一番表現しているのかもしれない。
 
 続く礼生さんの詩はATOMへのピックアップというよりはconvoy自体をピックアップした詩であると考えると面白いかもしれないのでは…?なぜconvoy自体なのかというと勞動歌でボレロと同じように倒れるからという、ただそれだけのことなんですけど、そこからボレロまで繋がっているのだとしたら、どこか茫然とそして大切そうに掬い上げられたソレは水溜りの水なのか生命なのか。水であるならば。水には記憶がある、という説をここに当て嵌めたとすると、ねずみさんが作り上げてきたconvoyの記憶を水は覚えていて、礼生さんは継承の歌である勞動歌でその記憶を覗き込んだということになります。それはつまり啓示を受けたかのような、こうしてconvoyで生きることが運命のような、この出会いが偶然が必然を呼び込んだかのような、ある種の奇跡をわたしたちは垣間見たのではないだろうか、という気持ちになります。
 
 至法くんの「虹」では水溜りを掬い上げてキラキラと楽しそうに浴び、こうしてconvoyの一員として生きていることこそ「生」なのだ、と踊っていたのと違い、礼生さんは水溜りをまるで生まれたての赤ん坊を抱き上げるかのごとく、祈りを捧げているかのごとく大切に大切に掬い上げているのを見ると、至法さんの”convoyとして”ではなく、”convoyそのものである”ということに「生」をみたのではないかと、コンボイ若手メンバーである至法さんとの対比で私はこのシーンにたくさんの感情が湧いてくるわけです。
 
 そして掬い上げられたものが生命であるならば。ボレロへの伏線という思考からその水溜りは深淵(abyss)なのだとも思っていて。そもそもボレロを私は、舞曲ボレロの語源のひとつ、軽やかな身のこなしから来るvolar(飛ぶ)から連想して”死の世界へのダイブ”という解釈を繰り広げている人間なので、深淵という水の深く淀んだ場所、悪魔学における進化の終着点、すなわち人間の行き着く最後の未来「死」を勞動歌のときに覗き込んだということになるんですね。つまり礼生さんが覗き込んだ水溜りは、板の上で生まれた新たな「生」と、板の上で生きた最後の未来「死」という人生そのものがその水溜りの中にあったのではないかという……。そこに放り込まれる「わくわく」という希死念慮さえ漂う死生観に、こちらはもう息を呑むしかなくなるわけです。生と死がすぐそこにあるわけなので。大阪千秋楽のときにだけ私はみたのですが「わくわく」の詩(死)を語り終わり、その命が終わろうとするその瞬間、うっそりと笑顔を浮かべていたのを、みて、ゾッとしました。「あぁ…彼は今本当に死んでしまった…」という恐怖と、死の世界に魅入られる礼生さんに私も魅入られて引き摺り込まれて共に地獄に行くかのような恐ろしさ。
 
 そうやって忍び寄ってきた死に「来世」という死後のその先の世界が混ざり合うので、本当にとんでもないわけですよ。そもそも壮太郎くんはどこの立ち位置の人間なのかという解釈がとてもたくさんあるわけですが、ここでは壮太郎くん自身であるとして。そうすると壮太郎くんが来世でも思い出したい「君」とは誰なのだろうか。「君」とはただの人間としての誰かではなく、ただ呼びかけるモノへの対象としての「君」であるならば、肩に手を置き立ち上がらせた対象が礼生さんということから”convoyそのもの”になるのではないだろうか。一生かかったとしてもその全てを理解することはできない何かを教わるため「ぼく」になるのだとしたら、これは壮太郎くんのconvoyに対する向き合い方の詩になるのかもしれないですね。
 
 バーンズくんの「Blowin' in the Wind」でボレロで倒れた2人をとても静かに見つめている様はまるで詩の中の「どれだけの人が亡くなれば、多くの人が死んだことに気がつくのだろう」という亡くなってしまった人を悲しみ諦観しているしているように見えました。ただ、そこから”答えは風に吹かれている”なので、起こってしまったことを、ただそうであるように悟っているのではなく、答えは不変ではなく移り変わっていくものだからこそ考え続けることが大事だという詩で。また人の死を語る前に、人の成長や終わり方についても触れているので、そこにあって、そこにはないもの、人生そのものについて語っているようにも感じます。そして風の音と共にやってくる「わたしと小鳥とすずと」では”みんなちがって、みんないい”という人がそれぞれ持つその人にしか持ち得ない個を大切にすること、を語っている。「ぼくがここに」に似ている感じもしますが、「ぼくがここに」は存在そのものとしての個の確立であって「わたしと小鳥とすずと」は個が個であるために持ち得る何かがある、というものなので正確には違うのかなと。風の音と共にやってくるというも良いですよね。”答えは風に吹かれている”の風に乗って自分とは何かの答えを探している感じで。しかも「正解」に続くという。「Blowin' in the Wind」から「正解」まではひとつの大きな塊だと思っていて、答えは風に吹かれているから人生とは何かと考え続けることが大切で、その風に乗ってやってきたわたしはわたし足る個をすでに持っているので、自分の中に存在するアイデンティティを持って、そうしてわたしが考え続けた答えは、わたしがこれから歩く人生にある、という一連の流れがなんとなくあるような気がするんですよね。風に吹かれているからこそ、「正解」の”答えがすでにある問いなんかに用などはない”し、”答え合わせのときに私はもういない”になるんですよね。convoyの若手たちがねずみさんぐらいの年齢になったときにねずみさん自身がもうこの世には居ないかもしれない、っていう解釈ももちろんあると思うんですけど、今この瞬間のわたしが次の瞬間にはもう過去のことであって今のわたしはもう居ない、っていう方の解釈としての一連の流れ。ただただ凄くて、気持ちが良くて、「真夜中の詩人の会」というこの世界に没頭してしまいます。
 
 最後に「カリント工場の煙突の上に」わたし、絵画や宗教画を見ている気分になります。まずその教会のステンドグラスのような、ジェンダーレスな白シャツを華麗に着こなして踊って、何者でもなく何者にも成れるまっさらなATOMたちが、感情を込めながらも素直な透明感溢れる表情でそこにいるのが清廉で、板の上に立つ喜びと”ここ”にいたいという切実な思いに溢れている尊いものに思いました。そして最後にATOMたちがセンターにぎゅっと集って、彼らの世界に合わせて閉まる幕が額縁となり、彼らは額縁に収められたひとつの絵画で、ひとつの世界となるんです。絵画というものは次世代に遺され、たくさんの人がそれを見てそれぞれの解釈や思考を持つものだと思っていて。ATOMたちの生きてきた瞬間を切り取った最後のあの瞬間の絵画も”そう”で、オリメンさん達から託され繋いでいく若手を見た我々がたくさんの解釈と思考を持つ。「視点が変われば世界も変わる」と額縁だけを手に持って、一瞬一瞬が切り取られた世界を次々と額縁に納めていくねずみさんと、それを見ている我々がそれぞれの思考と解釈を展開していく。一瞬を切り取った絵画でもそこには無限の思考と可能性が広がっていると考えると、尊いものを、過去と今と未来が重なって、託し託され繋がってきたものをわたしたちは今、目撃しているんだな、と胸がいっぱいになります。
そうした絵画的解釈から離れると、「カリント工場の煙突の上に」という曲が持つ寂寥感と、感情が顕になったになったみなさんの表情、何かに縋り付きたいかのような必死な感じの表現、それとは反対に「今、”ここ”にいる」幸せを噛み締めた透明な笑顔が、力強く美しく、どこか刹那的で物悲しい風景がずっと脳裏から離れないです。
 そして単純どストレートに好きな部分を述べさせてもらいますと、たぶん「ずっと胸の奥に」だったと思うのですが、手を胸と腹に沿わせて左右に撫でるダンスが私の心臓をいい意味でキュッとさせ、「赤い口紅がついてた煙草」で口紅を拭う仕草にドキっとします。そーたろーくんの「風に揺れる万国旗」も好きです。「空よ僕を忘れないでくれ」の移り変わっていく表情もすごく好きです。まあ全部好きなんですけどね。結局ね。大好きです全部が全部。
 
 いやもう単純にすごい。なぜこんなにも(私の頭の中だけだとしても)意味合いの繋がりとかが生まれてくるんですか?本当に好きな詩集をそれぞれ打ち合わせもなく選んだんですか????本当に???何かに導かれているとしか思えないこの偶然が呼び込んだ必然。恐ろしい作品ですね。好き。構成が神懸かってますよね。わたしには理解し得ないというか理解しようにも深すぎて全容が見えないから一生ねずみさんの世界に潜っている。ねずみさんの先見の明というか千里眼みたいなものに、五体投地するしかないですよね……。コンボイの沼、気持ち良すぎません……?僕が今でも泳げないわけは、沼に沈み続けているから(コラ)……。実際この手紙に書いてないだけでまだ色んな解釈(とくにボレロボレロ大好き芸人としてアメトーク出れるレベル)がポロポロ出てくるんですよね。今回は哲学者のことに触れない感じで手紙を書きましたが、少しだけフロイトのことを学んで、それをATOM脳に変換していくのも凄く楽しかったです。ATOM最高のコンテンツです。ありがとうございます。脳みそにいい栄養です。
 
「I’m here」とATOMの帯くんの詩「ぼくがここに」が私の中で突然繋がってATOM脳になりまして。「ぼくがここに」で”ここ”に存在するぼくは何者にも侵食されることはなく、唯一無二の存在であると語られた後に発表された「I’m here」はあまりにも意味が分かりすぎて、鮮烈に”本田礼生”という存在が際立って眩しくなりました。(仮)で広げていった役者「本田礼生」という変容してきたものがキュッと凝縮して、この瞬間の「本田礼生」という存在を確定付けるだなんて、滾らないわけが無かった…!そしてアメリカという地。自由主義で”個"を大事にするお国柄なので、「I’m here」というタイトルはアメリカで撮影したからこそ生まれたタイトル!アメリカの政治史の出発点となるルイス・ハーツ著書「アメリ自由主義の伝統」には「生まれながらにして平等」とあるそうです。生まれながらして平等というのは宇宙から見れば人は皆、原子ATOMである、というのと同義になると思うんですよ。またATOMに繋がってしまう…!ATOM…本当に恐ろしい子…。予定が延期されたのもあって、どのタイミングで写真集のタイトルを決め、ATOMのあれこれがあったのかのタイミングは全然分かりませんが、これもまた「偶然が呼び込んだ必然」ですよね。ほんとうにすごい。最終的にすごいとしか言えなくなります。それだけすごい作品をこうして観劇することができて、本当に幸せでした。心に響く星屑バンプと脳に語りかけてくるATOM。を生み出したTHE CONVOY SHOW。出会えて本当に良かったです。ありがとうございます。礼生さんに出会えたおかげです。